質疑応答でいい感じにボコされる方法

今日は同期の修論中間発表だった。締切まで残すところ一ヶ月くらいのこの時期に「中間」発表とは何を抜かしているんだ、という感じだが、残念ながらうちはそんな感じなのだ。(僕の中間発表は12月8日でもっと遅い。勘弁してくれ。)うちのところの中間発表は、指導教員を含めて哲学・思想系の教員4人(時代・言語もバラバラである)の前で、原稿を30分ほどで読み上げ、その後に質疑応答をする、という形だ。

で——まあどこの学生の発表もそうだろうが——、同期が先生方にボコボコにされていた(何度も言うが、締切まであと一ヶ月くらいしかない)。そういうとき、先生方からボコボコにされた(あるいはそこまでいかないにしても、クリティカルな論点が出された)ときに、ちょっと雰囲気が険悪になったり、学生側の応答に対して先生側が「んーそういうことじゃないんだけど、まあいいや」となったりすることがある。単に学生側の準備不足が原因であるケースもあるが、その場での応答の仕方がまずいというケースもある。

ところで私は、中間発表をいい雰囲気で終わらせる、つまり、悪いボコされ方ではなく、良いボコされ方で終わらせることが得意だ(と思っている、そう信じている、いや、そうであってほしい……)。

というわけで、今日の日記は中間発表の質疑応答でボコされたときの応答の仕方を伝授しよう。このTipsは中間発表だけでなく、学位論文の口頭試問でも学会発表の質疑応答でも、様々なシーンで役に立つはずだ。(ただし、前提として、中間発表の仕方はそれぞれの大学・学科・専門などによって大いに異なるから、このTipsが直ちにどこでも有用になるというわけではないかもしれない。)ここで注記しておくと、私は、ボコされるよりボコされない方が素晴らしいとは言っていない。私が言いたいのは、ボコされないことを目指すのではなく——たいていの場合、学生はボコされる——、良いボコされ方を目指すのが大事だということだ。

ボコされたときに大事なポイントは2つある。1つ目はまず最初にする技であり、2つ目はその後にする技である。ワンツーと繰り出そう。

1つ目は、ボコされポイントを正確に自分の言葉で理解し、理解したことを先生に伝える、ということだ。同じ哲学・思想系とはいえ専門が異なる先生方からの批判は、自分の専門の言葉で語られる批判とは少々異なることがある。だが、そこはさすが先生と言うべきか、そうした批判には、どこかしら重大な指摘が含まれていたり、そうでなくとも研究を進展させる示唆が含まれているものだ。そうした批判を、何より目の前の原稿を改善できるように、そして今後の自分の研究に活かせるように、自分の専門の言葉でうまく形にしておくことが大切だ。

もちろん、自分の専門に引き寄せた形で言語化する際には、元の批判が歪曲されることもあるだろう。その心配があるときには、「今の批判は〜〜というものだと理解したのですが、それで間違いないか?」と質問で返して、相手の批判と自分の理解を擦り合わせよう。もちろん、相手の批判を丸ごと受け入れる必要はない。擦り合わせをしたのちに相手の批判に誤解や欠陥があることがわかったら、それを指摘すればよい。しかし、それでもなお有効な批判に思われる部分、あるいはその場ではうまく判断できない部分があれば、それを自分の専門の言葉で明確化しておく必要がある。

自分の専門の言葉で相手の批判を言い直す——これはいま述べたように、自分の研究を良くするために役立つが、それだけでなく、相手(特に自分より立場が上の相手ならなおさら)にとっても有用なことだ。というのも、第一に、相手は迷いながらたどたどしく批判をしている可能性があるのだが、その相手の批判を明確化できるからだ。そして第二に、相手にちゃんと批判を受け止めたことを伝えることは、相手に仮に納得してもらえないとしても少なくとも満足感を与えるからだ。「相手に満足感を与える」と言うと、そんな太鼓持ちのような真似は本質的ではなく何ら重要ではないと言われるかもしれない。そういう毅然とした態度はまあかっこいいっちゃかっこいい。ただ、そうは言っても私は、研究をするのは他ならぬ人である以上、親密さや親切さを完全に抜きにして発表の質疑応答などのコミュニケーションをするのは、賢い選択ではないと思う。

ボコされたときに大事なことの2つ目は、ボコされポイントをどう擁護・修正できそうかを、展望だけでもいいから話す、ということだ。これはすなわち、1つ目の技で相手の批判を言語化したのち、すぐさま続けて「それについては今後の課題といたします」を繰り出すのはまずい、ということだ。たしかに、特に中間発表では、一応は研究の途中の段階なので、今後の課題としたいような問題は比較的たくさんあるだろう。しかし、研究が途中の段階ということは、研究をまだまだ詰めていく段階にもあるということだ。その意味で、今後の研究の向かう方向を定めるためにも、そしてその方向を相手と共有するためにも、ボコされポイントを擁護するとしたらどういう議論になるか、修正するとしたら議論のどの部分に手を加えるか、ということを話しておくとよい。

もしその擁護・修正が明らかにまずそうなものであれば、直ちに相手からフィードバックをもらえる可能性があるし、一見したところの問題がなさそうであれば、今後の自分の研究を導くガイドになる。ボコされポイントについての対処の仕方をその場で考え・述べることには、いま挙げたようなメリットがあるのだ。この2つ目のポイントの難点があるとすれば、それは1つ目のポイントよりも瞬発的な頭の回転が求められる、という点だろうか。中間発表とはいえ、その議論は、自分がある程度の時間をかけて作ってきたものである。それに対して、その場で新しい擁護を編み出したり、妥当な修正案を出したりすることは、ふつう容易ではない。

これについての根本的な解決策というものを私は持ち合わせていないが、とはいえ、差し当たりは、容易でないからこそ、〈ボコされポイントをどう擁護・修正できそうかを、「展望だけでもいいから」話す〉のが大事だということを強調しておきたい。(そして、「本当にもうこれ以上はどうにもならない!」となったときこそ、あの「今後の課題といたします」の出番である。)先に述べた通り、まだ研究は途中の段階だし、今後も進展していくものだ。その道のりは短いものでも緩やかなものでもないかもしれないが、あなたをボコした目の前の相手は、険しい道を進んでいく手助けしてくれるだろう。*1

*1:2023/11/27(Mon.)の日記からの転載

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