diary|2023/11

2023/11/27(Mon.)|修論中間発表(同期の)、良いボコされ方

今日は同期の修論中間発表だった。締切まで残すところ一ヶ月くらいのこの時期に「中間」発表とは何を抜かしているんだ、という感じだが、残念ながらうちはそんな感じなのだ。(僕の中間発表は12月8日でもっと遅い。勘弁してくれ。)うちのところの中間発表は、指導教員を含めて哲学・思想系の教員4人(時代・言語もバラバラである)の前で、原稿を30分ほどで読み上げ、その後に質疑応答をする、という形だ。

で——まあどこの学生の発表もそうだろうが——、同期が先生方にボコボコにされていた(何度も言うが、締切まであと一ヶ月くらいしかない)。そういうとき、先生方からボコボコにされた(あるいはそこまでいかないにしても、クリティカルな論点が出された)ときに、ちょっと雰囲気が険悪になったり、学生側の応答に対して先生側が「んーそういうことじゃないんだけど、まあいいや」となったりすることがある。単に学生側の準備不足が原因であるケースもあるが、その場での応答の仕方がまずいというケースもある。

ところで私は、中間発表をいい雰囲気で終わらせる、つまり、悪いボコされ方ではなく、良いボコされ方で終わらせることが得意だ(と思っている、そう信じている、いや、そうであってほしい……)。

というわけで、今日の日記は中間発表の質疑応答でボコされたときの応答の仕方を伝授しよう。このTipsは中間発表だけでなく、学位論文の口頭試問でも学会発表の質疑応答でも、様々なシーンで役に立つはずだ。(ただし、前提として、中間発表の仕方はそれぞれの大学・学科・専門などによって大いに異なるから、このTipsが直ちにどこでも有用になるというわけではないかもしれない。)ここで注記しておくと、私は、ボコされるよりボコされない方が素晴らしいとは言っていない。私が言いたいのは、ボコされないことを目指すのではなく——たいていの場合、学生はボコされる——、良いボコされ方を目指すのが大事だということだ。

ボコされたときに大事なポイントは2つある。1つ目はまず最初にする技であり、2つ目はその後にする技である。ワンツーと繰り出そう。

1つ目は、ボコされポイントを正確に自分の言葉で理解し、理解したことを先生に伝える、ということだ。同じ哲学・思想系とはいえ専門が異なる先生方からの批判は、自分の専門の言葉で語られる批判とは少々異なることがある。だが、そこはさすが先生と言うべきか、そうした批判には、どこかしら重大な指摘が含まれていたり、そうでなくとも研究を進展させる示唆が含まれているものだ。そうした批判を、何より目の前の原稿を改善できるように、そして今後の自分の研究に活かせるように、自分の専門の言葉でうまく形にしておくことが大切だ。

もちろん、自分の専門に引き寄せた形で言語化する際には、元の批判が歪曲されることもあるだろう。その心配があるときには、「今の批判は〜〜というものだと理解したのですが、それで間違いないか?」と質問で返して、相手の批判と自分の理解を擦り合わせよう。もちろん、相手の批判を丸ごと受け入れる必要はない。擦り合わせをしたのちに相手の批判に誤解や欠陥があることがわかったら、それを指摘すればよい。しかし、それでもなお有効な批判に思われる部分、あるいはその場ではうまく判断できない部分があれば、それを自分の専門の言葉で明確化しておく必要がある。

自分の専門の言葉で相手の批判を言い直す——これはいま述べたように、自分の研究を良くするために役立つが、それだけでなく、相手(特に自分より立場が上の相手ならなおさら)にとっても有用なことだ。というのも、第一に、相手は迷いながらたどたどしく批判をしている可能性があるのだが、その相手の批判を明確化できるからだ。そして第二に、相手にちゃんと批判を受け止めたことを伝えることは、相手に仮に納得してもらえないとしても少なくとも満足感を与えるからだ。「相手に満足感を与える」と言うと、そんな太鼓持ちのような真似は本質的ではなく何ら重要ではないと言われるかもしれない。そういう毅然とした態度はまあかっこいいっちゃかっこいい。ただ、そうは言っても私は、研究をするのは他ならぬ人である以上、親密さや親切さを完全に抜きにして発表の質疑応答などのコミュニケーションをするのは、賢い選択ではないと思う。

ボコされたときに大事なことの2つ目は、ボコされポイントをどう擁護・修正できそうかを、展望だけでもいいから話す、ということだ。これはすなわち、1つ目の技で相手の批判を言語化したのち、すぐさま続けて「それについては今後の課題といたします」を繰り出すのはまずい、ということだ。たしかに、特に中間発表では、一応は研究の途中の段階なので、今後の課題としたいような問題は比較的たくさんあるだろう。しかし、研究が途中の段階ということは、研究をまだまだ詰めていく段階にもあるということだ。その意味で、今後の研究の向かう方向を定めるためにも、そしてその方向を相手と共有するためにも、ボコされポイントを擁護するとしたらどういう議論になるか、修正するとしたら議論のどの部分に手を加えるか、ということを話しておくとよい。

もしその擁護・修正が明らかにまずそうなものであれば、直ちに相手からフィードバックをもらえる可能性があるし、一見したところの問題がなさそうであれば、今後の自分の研究を導くガイドになる。ボコされポイントについての対処の仕方をその場で考え・述べることには、いま挙げたようなメリットがあるのだ。この2つ目のポイントの難点があるとすれば、それは1つ目のポイントよりも瞬発的な頭の回転が求められる、という点だろうか。中間発表とはいえ、その議論は、自分がある程度の時間をかけて作ってきたものである。それに対して、その場で新しい擁護を編み出したり、妥当な修正案を出したりすることは、ふつう容易ではない。

これについての根本的な解決策というものを私は持ち合わせていないが、とはいえ、差し当たりは、容易でないからこそ、〈ボコされポイントをどう擁護・修正できそうかを、「展望だけでもいいから」話す〉のが大事だということを強調しておきたい。(そして、「本当にもうこれ以上はどうにもならない!」となったときこそ、あの「今後の課題といたします」の出番である。)先に述べた通り、まだ研究は途中の段階だし、今後も進展していくものだ。その道のりは短いものでも緩やかなものでもないかもしれないが、あなたをボコした目の前の相手は、険しい道を進んでいく手助けしてくれるだろう。

 

2023/11/24(Fri.)|バムとケロ

バムとケロがうちにやってきた。すごくかわいい。

ようこそ

 

2023/11/23(Thu.)|比叡山登山、紅葉狩り

大学は学園祭(NF)で盛り上がっている中、私はと言うと、総人・人環の知り合いと地球科学の教授と一緒に比叡山に登ってきた。最近ずっと修論のことを考えていて(日記が更新できていなかったのもこのため、この日の日記も2023/12/01に急いでパチパチ書いている)頭が疲れていたのだが、リフレッシュできた。その分、体は結構疲れた。

あれに登りました

まずは叡山電車修学院駅まで

修学院離宮の横を山に向かって歩いていく

比叡山の麓の雲母坂の勾配がきつくて、初っ端から後悔しかけたのだが、そこを越えればあとは尾根沿いの緩やかな坂をえっちらおっちら登っていくだけだった。比叡山の頂上まではケーブルカーとロープウェーで簡単に行けてしまうのだが、我々はそこを全て歩いて行った、というわけだ。頂上からの眺めは霞んでいたので、正直に言うと微妙だった。あと、比叡山の本当の頂上からは何も見えなくてがっかりした。

雲母坂(「きららざか」と読む)

宝ヶ池、岩倉の方を眺める

登山道の綺麗な紅葉①

登山道の綺麗な紅葉②

比叡山の本当の頂上、がっかりポイント

登りでだいぶ疲れたので、下りはケーブルカーにした。ケーブルカーに乗ったのは初めてだった。ケーブルカー乗り場には「HIEIZAN」というクソダサ写真スポットがあった。弁えを知らない子供が「N」の上によじ登って立ち上がり、それをまた弁えを知らない親が写真撮影しており、ケーブルカーの職員に注意されていた。ケーブルカーで麓まで降りると、叡山電車八瀬比叡山口駅がすぐそこにあるのだが、そこの紅葉がちょうどいい頃合いで綺麗だった。おまけに混んでおらず、清水寺や嵐山に行って押し合いへし合いしながら見る紅葉より全然よかった。

HIEIZAN

葉の間から見えるのが八瀬比叡山口駅、夕陽で軌道が照らされて綺麗だった

先生にみたらし団子を買ってもらった

八瀬比叡山口駅

出町柳駅まで帰ってきたら、空が完全に秋だった

 

2023/11/12(Sun.)|対面ゼミ

今日は久しぶりに対面でゼミ(ゼミとは言っても指導教員は来ない、院生で自主的にやっている進捗報告会だが)を開催した。今週は週7で研究していたのでかなり疲れた。

 


2023/11/10(Fri.)|雨降り

昨日から頭が痛かったので悪い予感はしていたのだが、今日は一日雨が降っていて低気圧がかなりきつい日だ。それなのに午前中からバイトに入り、授業で獅子奮迅の活躍をし、そして夜もバイトに入ったので上々の出来だろう。バイト先に傘を忘れたことを除けば。

がっつり文書作成をするたびにWordの機能を新しく知るので、「僕は君のこと、何も知らなかったんだね……」という気持ちになる。

 


2023/11/09(Thu.)|修論の表紙を作る、『PERFECT BLUE

昨日は修論のWordファイルを作ったが、今日は修論の表紙を作った。本文を書けや、本文を。とはいえ、やっぱり見た目がかっこよくないとテンションが上がらないし、提出直前になってこの手の細かい作業に煩わされるのも怖いので、今日やってよかったと思うことにする。

夜は今敏の『PERFECT BLUE』を観た。1997年の——つまり私が生まれる2年前の——映画なのにもかかわらず優れて現代的だと言うべきか、あるいは昔からやばいストーカーはいたということを描いていると言うべきか、いずれにせよ面白かった。作中でフィーチャーされる本物と偽物のテーマは直で私の修論に関わってくる部分で、説明に使えそうないい事例も採集できたので一石二鳥だ。

 


2023/11/08(Wed.)|修論ファイルを作る、散髪

散髪してかっこよくなった(当者比)。ただ、いつものようにがっつり刈り上げたので、首周りがだいぶ寒くなった。これからの季節は辛い。

今日の素敵なもの|ユニクロアニヤ・ハインドマーチのコラボ

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2023/11/07(Tue.)|カヴェル研究会

大学の先輩と一緒に開催しているカヴェル研究会があった。

(私も主催者の一人なのだが、修論のせいで顔を出せない日もある。ごめんなさいぃぃぃ。)

カヴェルの文章は難解で、予習をしているとき、私はカヴェルに対してひたすら暴言を吐いているのだが、研究会でいろんな人といろんな観点から突っ込んでいくうちに、徐々にカヴェルについてそれっぽいことを言えるようになるのが面白い。カヴェル的な言い回しを用いているならば、私はカヴェルの言葉を聞き取る「耳」を持つようになった、ということだ。

今日の素敵なもの|Mega Shinnosuke『ロックはか゛わ゛い゛い゛』

 


2023/11/04(Sat.)|LINA STORES、T8飽きた

今日はT8に行った。前回訪れたのは2023/10/18(Wed.)で、それが初T8だった。T8とは何かまだ知らないお前らのために説明すると、京都高島屋(正確には京都高島屋S.C.)の専門店ゾーンだ。何をしに行ったのか知らないだろうお前らのために説明すると、前回訪れた際に外観がいい感じだったモダンイタリアン「LINA STORES」でランチを食べに行ったのだった。

結論から言えば、料理はちゃんと美味しかったが、割高な印象だ。まだオープン間もないからかスタッフの接客もあまりこなれておらず(実際、大学生くらいの若いスタッフが多かった)、もうちょっと頑張ってほしいところである。まあ、内装やカトラリーがミントカラーで統一されている様はインスタ映えするし、一回くらいは行っといてもいいんじゃないでしょうか。

腹を満たした後はT8をブラブラしたのだが、二回目の訪問にしてすでに飽きた。これは、前回入場制限で行けなかったNintendo KYOTOが、今日も大盛況で整理券を配布しているくらいの混雑で断念したせいもあるだろう。Nintendo KYOTOの繁盛ぶりは、他のどのテナントも差し置いて、オープンから二週間ほど経った今日も収まるところを知らず、さながらディズニーリゾートであった。店の奥になんかアトラクションでもあるんか?

 


2023/11/02(Thu.)|注意される側の二つの態度

バイト。閲覧席でしゃべっている二人組がいたので「お静かにしていただけますか」と注意した。基本閲覧席でしゃべっている人というのは二人以上の団体なのだが(一人で何やらぶつぶつ言っている人も稀にいるが)、この手の団体様を注意するときに返ってくる反応は、おおまかに言って二つに分けられる。

第一の反応は、さっきまで威勢よくしゃべっていたのに急に小声で「すいません……」と大人しくなる、というものだ。今日注意した二人組はこちらの反応を返してきた。——まあいい。今度から気をつけるように。

第二の反応は——私はこれが許せないのだが——、威勢のよさは変わらず、ヘラヘラしながら「すいませんw」と返す、というものだ。この軽い(軽すぎる)謝罪の後に、互いに顔を見合わせながら笑うというコンボをかまされることも、よくある。私はこの反応が、つまりヘラ謝りからのクスクスというワンツーパンチが本当に気に食わない。注意されたということ(ないし迷惑をかけているということ)をもっと真剣に引き受けろやタコ、と思う。おそらく彼ら彼女らは集団でいることによって、自らがまずいことをしているという事実に向き合わずに笑って誤魔化すという手段を手に入れているのだろう。

だから俺群れ嫌いやねん。

 


2023/11/01(Wed.)|NTLive『善き人』

各地で客入りがいいと噂のNTLive『善き人』を観てきた。

www.ntlive.jp

あらすじをかいつまんで説明するとこうだ。

デヴィッド・テナント演じるジョン・ハルダーは、作家にして大学教授。彼は、当時まだ一部の人々の間でのみもてはやされていたナチスは馬鹿馬鹿しい団体だと、いずれナチスの熱狂は過ぎ去ると、そう言ってナチスに怯えるユダヤ人の親友を宥めていた。しかし、彼が安楽死について書いたエッセイがナチスの高官、さらにはヒトラーの目に留まったことをきっかけに、ジョンは徐々にナチスに取り込まれていく。もちろん、ジョンも最初から諸手を上げてナチスに賛同していたわけではない、いや、最後まで賛同したわけではなかったと言ってもいい。しかし、ナチスから高い評価を得るたびにジョンの自尊心は満たされ、ナチスの重大な作戦にも関わるようになっていく……

おそらくこの手の映画を観たときによくある反応として、「普通の人でもナチスの迫害政策に加担しうるのだ……時代が違えば、もしかしたら私も……」とびくびくする、という反応があると思うのだが、正直に言って、ジョンはかなりしょうもないやつで、俺だったらこうはならんなとか思った。もちろんこれは、少なくともこの舞台を見る限りでは、という話で、元の戯曲は十分説得力のあるものなのかもしれない。とはいえ、しょうもない男がずるずるとHappyに引きずられ、Goodから遠ざかって破滅していく様を見るのは、一つの悲劇としてまあ楽しめた。

 


先月のdiary|2023/10

eudaimon-richo.hatenablog.jp