質疑応答でいい感じにボコされる方法

今日は同期の修論中間発表だった。締切まで残すところ一ヶ月くらいのこの時期に「中間」発表とは何を抜かしているんだ、という感じだが、残念ながらうちはそんな感じなのだ。(僕の中間発表は12月8日でもっと遅い。勘弁してくれ。)うちのところの中間発表は、指導教員を含めて哲学・思想系の教員4人(時代・言語もバラバラである)の前で、原稿を30分ほどで読み上げ、その後に質疑応答をする、という形だ。

で——まあどこの学生の発表もそうだろうが——、同期が先生方にボコボコにされていた(何度も言うが、締切まであと一ヶ月くらいしかない)。そういうとき、先生方からボコボコにされた(あるいはそこまでいかないにしても、クリティカルな論点が出された)ときに、ちょっと雰囲気が険悪になったり、学生側の応答に対して先生側が「んーそういうことじゃないんだけど、まあいいや」となったりすることがある。単に学生側の準備不足が原因であるケースもあるが、その場での応答の仕方がまずいというケースもある。

ところで私は、中間発表をいい雰囲気で終わらせる、つまり、悪いボコされ方ではなく、良いボコされ方で終わらせることが得意だ(と思っている、そう信じている、いや、そうであってほしい……)。

というわけで、今日の日記は中間発表の質疑応答でボコされたときの応答の仕方を伝授しよう。このTipsは中間発表だけでなく、学位論文の口頭試問でも学会発表の質疑応答でも、様々なシーンで役に立つはずだ。(ただし、前提として、中間発表の仕方はそれぞれの大学・学科・専門などによって大いに異なるから、このTipsが直ちにどこでも有用になるというわけではないかもしれない。)ここで注記しておくと、私は、ボコされるよりボコされない方が素晴らしいとは言っていない。私が言いたいのは、ボコされないことを目指すのではなく——たいていの場合、学生はボコされる——、良いボコされ方を目指すのが大事だということだ。

ボコされたときに大事なポイントは2つある。1つ目はまず最初にする技であり、2つ目はその後にする技である。ワンツーと繰り出そう。

1つ目は、ボコされポイントを正確に自分の言葉で理解し、理解したことを先生に伝える、ということだ。同じ哲学・思想系とはいえ専門が異なる先生方からの批判は、自分の専門の言葉で語られる批判とは少々異なることがある。だが、そこはさすが先生と言うべきか、そうした批判には、どこかしら重大な指摘が含まれていたり、そうでなくとも研究を進展させる示唆が含まれているものだ。そうした批判を、何より目の前の原稿を改善できるように、そして今後の自分の研究に活かせるように、自分の専門の言葉でうまく形にしておくことが大切だ。

もちろん、自分の専門に引き寄せた形で言語化する際には、元の批判が歪曲されることもあるだろう。その心配があるときには、「今の批判は〜〜というものだと理解したのですが、それで間違いないか?」と質問で返して、相手の批判と自分の理解を擦り合わせよう。もちろん、相手の批判を丸ごと受け入れる必要はない。擦り合わせをしたのちに相手の批判に誤解や欠陥があることがわかったら、それを指摘すればよい。しかし、それでもなお有効な批判に思われる部分、あるいはその場ではうまく判断できない部分があれば、それを自分の専門の言葉で明確化しておく必要がある。

自分の専門の言葉で相手の批判を言い直す——これはいま述べたように、自分の研究を良くするために役立つが、それだけでなく、相手(特に自分より立場が上の相手ならなおさら)にとっても有用なことだ。というのも、第一に、相手は迷いながらたどたどしく批判をしている可能性があるのだが、その相手の批判を明確化できるからだ。そして第二に、相手にちゃんと批判を受け止めたことを伝えることは、相手に仮に納得してもらえないとしても少なくとも満足感を与えるからだ。「相手に満足感を与える」と言うと、そんな太鼓持ちのような真似は本質的ではなく何ら重要ではないと言われるかもしれない。そういう毅然とした態度はまあかっこいいっちゃかっこいい。ただ、そうは言っても私は、研究をするのは他ならぬ人である以上、親密さや親切さを完全に抜きにして発表の質疑応答などのコミュニケーションをするのは、賢い選択ではないと思う。

ボコされたときに大事なことの2つ目は、ボコされポイントをどう擁護・修正できそうかを、展望だけでもいいから話す、ということだ。これはすなわち、1つ目の技で相手の批判を言語化したのち、すぐさま続けて「それについては今後の課題といたします」を繰り出すのはまずい、ということだ。たしかに、特に中間発表では、一応は研究の途中の段階なので、今後の課題としたいような問題は比較的たくさんあるだろう。しかし、研究が途中の段階ということは、研究をまだまだ詰めていく段階にもあるということだ。その意味で、今後の研究の向かう方向を定めるためにも、そしてその方向を相手と共有するためにも、ボコされポイントを擁護するとしたらどういう議論になるか、修正するとしたら議論のどの部分に手を加えるか、ということを話しておくとよい。

もしその擁護・修正が明らかにまずそうなものであれば、直ちに相手からフィードバックをもらえる可能性があるし、一見したところの問題がなさそうであれば、今後の自分の研究を導くガイドになる。ボコされポイントについての対処の仕方をその場で考え・述べることには、いま挙げたようなメリットがあるのだ。この2つ目のポイントの難点があるとすれば、それは1つ目のポイントよりも瞬発的な頭の回転が求められる、という点だろうか。中間発表とはいえ、その議論は、自分がある程度の時間をかけて作ってきたものである。それに対して、その場で新しい擁護を編み出したり、妥当な修正案を出したりすることは、ふつう容易ではない。

これについての根本的な解決策というものを私は持ち合わせていないが、とはいえ、差し当たりは、容易でないからこそ、〈ボコされポイントをどう擁護・修正できそうかを、「展望だけでもいいから」話す〉のが大事だということを強調しておきたい。(そして、「本当にもうこれ以上はどうにもならない!」となったときこそ、あの「今後の課題といたします」の出番である。)先に述べた通り、まだ研究は途中の段階だし、今後も進展していくものだ。その道のりは短いものでも緩やかなものでもないかもしれないが、あなたをボコした目の前の相手は、険しい道を進んでいく手助けしてくれるだろう。*1

*1:2023/11/27(Mon.)の日記からの転載

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diary|2023/11

2023/11/27(Mon.)|修論中間発表(同期の)、良いボコされ方

今日は同期の修論中間発表だった。締切まで残すところ一ヶ月くらいのこの時期に「中間」発表とは何を抜かしているんだ、という感じだが、残念ながらうちはそんな感じなのだ。(僕の中間発表は12月8日でもっと遅い。勘弁してくれ。)うちのところの中間発表は、指導教員を含めて哲学・思想系の教員4人(時代・言語もバラバラである)の前で、原稿を30分ほどで読み上げ、その後に質疑応答をする、という形だ。

で——まあどこの学生の発表もそうだろうが——、同期が先生方にボコボコにされていた(何度も言うが、締切まであと一ヶ月くらいしかない)。そういうとき、先生方からボコボコにされた(あるいはそこまでいかないにしても、クリティカルな論点が出された)ときに、ちょっと雰囲気が険悪になったり、学生側の応答に対して先生側が「んーそういうことじゃないんだけど、まあいいや」となったりすることがある。単に学生側の準備不足が原因であるケースもあるが、その場での応答の仕方がまずいというケースもある。

ところで私は、中間発表をいい雰囲気で終わらせる、つまり、悪いボコされ方ではなく、良いボコされ方で終わらせることが得意だ(と思っている、そう信じている、いや、そうであってほしい……)。

というわけで、今日の日記は中間発表の質疑応答でボコされたときの応答の仕方を伝授しよう。このTipsは中間発表だけでなく、学位論文の口頭試問でも学会発表の質疑応答でも、様々なシーンで役に立つはずだ。(ただし、前提として、中間発表の仕方はそれぞれの大学・学科・専門などによって大いに異なるから、このTipsが直ちにどこでも有用になるというわけではないかもしれない。)ここで注記しておくと、私は、ボコされるよりボコされない方が素晴らしいとは言っていない。私が言いたいのは、ボコされないことを目指すのではなく——たいていの場合、学生はボコされる——、良いボコされ方を目指すのが大事だということだ。

ボコされたときに大事なポイントは2つある。1つ目はまず最初にする技であり、2つ目はその後にする技である。ワンツーと繰り出そう。

1つ目は、ボコされポイントを正確に自分の言葉で理解し、理解したことを先生に伝える、ということだ。同じ哲学・思想系とはいえ専門が異なる先生方からの批判は、自分の専門の言葉で語られる批判とは少々異なることがある。だが、そこはさすが先生と言うべきか、そうした批判には、どこかしら重大な指摘が含まれていたり、そうでなくとも研究を進展させる示唆が含まれているものだ。そうした批判を、何より目の前の原稿を改善できるように、そして今後の自分の研究に活かせるように、自分の専門の言葉でうまく形にしておくことが大切だ。

もちろん、自分の専門に引き寄せた形で言語化する際には、元の批判が歪曲されることもあるだろう。その心配があるときには、「今の批判は〜〜というものだと理解したのですが、それで間違いないか?」と質問で返して、相手の批判と自分の理解を擦り合わせよう。もちろん、相手の批判を丸ごと受け入れる必要はない。擦り合わせをしたのちに相手の批判に誤解や欠陥があることがわかったら、それを指摘すればよい。しかし、それでもなお有効な批判に思われる部分、あるいはその場ではうまく判断できない部分があれば、それを自分の専門の言葉で明確化しておく必要がある。

自分の専門の言葉で相手の批判を言い直す——これはいま述べたように、自分の研究を良くするために役立つが、それだけでなく、相手(特に自分より立場が上の相手ならなおさら)にとっても有用なことだ。というのも、第一に、相手は迷いながらたどたどしく批判をしている可能性があるのだが、その相手の批判を明確化できるからだ。そして第二に、相手にちゃんと批判を受け止めたことを伝えることは、相手に仮に納得してもらえないとしても少なくとも満足感を与えるからだ。「相手に満足感を与える」と言うと、そんな太鼓持ちのような真似は本質的ではなく何ら重要ではないと言われるかもしれない。そういう毅然とした態度はまあかっこいいっちゃかっこいい。ただ、そうは言っても私は、研究をするのは他ならぬ人である以上、親密さや親切さを完全に抜きにして発表の質疑応答などのコミュニケーションをするのは、賢い選択ではないと思う。

ボコされたときに大事なことの2つ目は、ボコされポイントをどう擁護・修正できそうかを、展望だけでもいいから話す、ということだ。これはすなわち、1つ目の技で相手の批判を言語化したのち、すぐさま続けて「それについては今後の課題といたします」を繰り出すのはまずい、ということだ。たしかに、特に中間発表では、一応は研究の途中の段階なので、今後の課題としたいような問題は比較的たくさんあるだろう。しかし、研究が途中の段階ということは、研究をまだまだ詰めていく段階にもあるということだ。その意味で、今後の研究の向かう方向を定めるためにも、そしてその方向を相手と共有するためにも、ボコされポイントを擁護するとしたらどういう議論になるか、修正するとしたら議論のどの部分に手を加えるか、ということを話しておくとよい。

もしその擁護・修正が明らかにまずそうなものであれば、直ちに相手からフィードバックをもらえる可能性があるし、一見したところの問題がなさそうであれば、今後の自分の研究を導くガイドになる。ボコされポイントについての対処の仕方をその場で考え・述べることには、いま挙げたようなメリットがあるのだ。この2つ目のポイントの難点があるとすれば、それは1つ目のポイントよりも瞬発的な頭の回転が求められる、という点だろうか。中間発表とはいえ、その議論は、自分がある程度の時間をかけて作ってきたものである。それに対して、その場で新しい擁護を編み出したり、妥当な修正案を出したりすることは、ふつう容易ではない。

これについての根本的な解決策というものを私は持ち合わせていないが、とはいえ、差し当たりは、容易でないからこそ、〈ボコされポイントをどう擁護・修正できそうかを、「展望だけでもいいから」話す〉のが大事だということを強調しておきたい。(そして、「本当にもうこれ以上はどうにもならない!」となったときこそ、あの「今後の課題といたします」の出番である。)先に述べた通り、まだ研究は途中の段階だし、今後も進展していくものだ。その道のりは短いものでも緩やかなものでもないかもしれないが、あなたをボコした目の前の相手は、険しい道を進んでいく手助けしてくれるだろう。

 

2023/11/24(Fri.)|バムとケロ

バムとケロがうちにやってきた。すごくかわいい。

ようこそ

 

2023/11/23(Thu.)|比叡山登山、紅葉狩り

大学は学園祭(NF)で盛り上がっている中、私はと言うと、総人・人環の知り合いと地球科学の教授と一緒に比叡山に登ってきた。最近ずっと修論のことを考えていて(日記が更新できていなかったのもこのため、この日の日記も2023/12/01に急いでパチパチ書いている)頭が疲れていたのだが、リフレッシュできた。その分、体は結構疲れた。

あれに登りました

まずは叡山電車修学院駅まで

修学院離宮の横を山に向かって歩いていく

比叡山の麓の雲母坂の勾配がきつくて、初っ端から後悔しかけたのだが、そこを越えればあとは尾根沿いの緩やかな坂をえっちらおっちら登っていくだけだった。比叡山の頂上まではケーブルカーとロープウェーで簡単に行けてしまうのだが、我々はそこを全て歩いて行った、というわけだ。頂上からの眺めは霞んでいたので、正直に言うと微妙だった。あと、比叡山の本当の頂上からは何も見えなくてがっかりした。

雲母坂(「きららざか」と読む)

宝ヶ池、岩倉の方を眺める

登山道の綺麗な紅葉①

登山道の綺麗な紅葉②

比叡山の本当の頂上、がっかりポイント

登りでだいぶ疲れたので、下りはケーブルカーにした。ケーブルカーに乗ったのは初めてだった。ケーブルカー乗り場には「HIEIZAN」というクソダサ写真スポットがあった。弁えを知らない子供が「N」の上によじ登って立ち上がり、それをまた弁えを知らない親が写真撮影しており、ケーブルカーの職員に注意されていた。ケーブルカーで麓まで降りると、叡山電車八瀬比叡山口駅がすぐそこにあるのだが、そこの紅葉がちょうどいい頃合いで綺麗だった。おまけに混んでおらず、清水寺や嵐山に行って押し合いへし合いしながら見る紅葉より全然よかった。

HIEIZAN

葉の間から見えるのが八瀬比叡山口駅、夕陽で軌道が照らされて綺麗だった

先生にみたらし団子を買ってもらった

八瀬比叡山口駅

出町柳駅まで帰ってきたら、空が完全に秋だった

 

2023/11/12(Sun.)|対面ゼミ

今日は久しぶりに対面でゼミ(ゼミとは言っても指導教員は来ない、院生で自主的にやっている進捗報告会だが)を開催した。今週は週7で研究していたのでかなり疲れた。

 


2023/11/10(Fri.)|雨降り

昨日から頭が痛かったので悪い予感はしていたのだが、今日は一日雨が降っていて低気圧がかなりきつい日だ。それなのに午前中からバイトに入り、授業で獅子奮迅の活躍をし、そして夜もバイトに入ったので上々の出来だろう。バイト先に傘を忘れたことを除けば。

がっつり文書作成をするたびにWordの機能を新しく知るので、「僕は君のこと、何も知らなかったんだね……」という気持ちになる。

 


2023/11/09(Thu.)|修論の表紙を作る、『PERFECT BLUE

昨日は修論のWordファイルを作ったが、今日は修論の表紙を作った。本文を書けや、本文を。とはいえ、やっぱり見た目がかっこよくないとテンションが上がらないし、提出直前になってこの手の細かい作業に煩わされるのも怖いので、今日やってよかったと思うことにする。

夜は今敏の『PERFECT BLUE』を観た。1997年の——つまり私が生まれる2年前の——映画なのにもかかわらず優れて現代的だと言うべきか、あるいは昔からやばいストーカーはいたということを描いていると言うべきか、いずれにせよ面白かった。作中でフィーチャーされる本物と偽物のテーマは直で私の修論に関わってくる部分で、説明に使えそうないい事例も採集できたので一石二鳥だ。

 


2023/11/08(Wed.)|修論ファイルを作る、散髪

散髪してかっこよくなった(当者比)。ただ、いつものようにがっつり刈り上げたので、首周りがだいぶ寒くなった。これからの季節は辛い。

今日の素敵なもの|ユニクロアニヤ・ハインドマーチのコラボ

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2023/11/07(Tue.)|カヴェル研究会

大学の先輩と一緒に開催しているカヴェル研究会があった。

(私も主催者の一人なのだが、修論のせいで顔を出せない日もある。ごめんなさいぃぃぃ。)

カヴェルの文章は難解で、予習をしているとき、私はカヴェルに対してひたすら暴言を吐いているのだが、研究会でいろんな人といろんな観点から突っ込んでいくうちに、徐々にカヴェルについてそれっぽいことを言えるようになるのが面白い。カヴェル的な言い回しを用いているならば、私はカヴェルの言葉を聞き取る「耳」を持つようになった、ということだ。

今日の素敵なもの|Mega Shinnosuke『ロックはか゛わ゛い゛い゛』

 


2023/11/04(Sat.)|LINA STORES、T8飽きた

今日はT8に行った。前回訪れたのは2023/10/18(Wed.)で、それが初T8だった。T8とは何かまだ知らないお前らのために説明すると、京都高島屋(正確には京都高島屋S.C.)の専門店ゾーンだ。何をしに行ったのか知らないだろうお前らのために説明すると、前回訪れた際に外観がいい感じだったモダンイタリアン「LINA STORES」でランチを食べに行ったのだった。

結論から言えば、料理はちゃんと美味しかったが、割高な印象だ。まだオープン間もないからかスタッフの接客もあまりこなれておらず(実際、大学生くらいの若いスタッフが多かった)、もうちょっと頑張ってほしいところである。まあ、内装やカトラリーがミントカラーで統一されている様はインスタ映えするし、一回くらいは行っといてもいいんじゃないでしょうか。

腹を満たした後はT8をブラブラしたのだが、二回目の訪問にしてすでに飽きた。これは、前回入場制限で行けなかったNintendo KYOTOが、今日も大盛況で整理券を配布しているくらいの混雑で断念したせいもあるだろう。Nintendo KYOTOの繁盛ぶりは、他のどのテナントも差し置いて、オープンから二週間ほど経った今日も収まるところを知らず、さながらディズニーリゾートであった。店の奥になんかアトラクションでもあるんか?

 


2023/11/02(Thu.)|注意される側の二つの態度

バイト。閲覧席でしゃべっている二人組がいたので「お静かにしていただけますか」と注意した。基本閲覧席でしゃべっている人というのは二人以上の団体なのだが(一人で何やらぶつぶつ言っている人も稀にいるが)、この手の団体様を注意するときに返ってくる反応は、おおまかに言って二つに分けられる。

第一の反応は、さっきまで威勢よくしゃべっていたのに急に小声で「すいません……」と大人しくなる、というものだ。今日注意した二人組はこちらの反応を返してきた。——まあいい。今度から気をつけるように。

第二の反応は——私はこれが許せないのだが——、威勢のよさは変わらず、ヘラヘラしながら「すいませんw」と返す、というものだ。この軽い(軽すぎる)謝罪の後に、互いに顔を見合わせながら笑うというコンボをかまされることも、よくある。私はこの反応が、つまりヘラ謝りからのクスクスというワンツーパンチが本当に気に食わない。注意されたということ(ないし迷惑をかけているということ)をもっと真剣に引き受けろやタコ、と思う。おそらく彼ら彼女らは集団でいることによって、自らがまずいことをしているという事実に向き合わずに笑って誤魔化すという手段を手に入れているのだろう。

だから俺群れ嫌いやねん。

 


2023/11/01(Wed.)|NTLive『善き人』

各地で客入りがいいと噂のNTLive『善き人』を観てきた。

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あらすじをかいつまんで説明するとこうだ。

デヴィッド・テナント演じるジョン・ハルダーは、作家にして大学教授。彼は、当時まだ一部の人々の間でのみもてはやされていたナチスは馬鹿馬鹿しい団体だと、いずれナチスの熱狂は過ぎ去ると、そう言ってナチスに怯えるユダヤ人の親友を宥めていた。しかし、彼が安楽死について書いたエッセイがナチスの高官、さらにはヒトラーの目に留まったことをきっかけに、ジョンは徐々にナチスに取り込まれていく。もちろん、ジョンも最初から諸手を上げてナチスに賛同していたわけではない、いや、最後まで賛同したわけではなかったと言ってもいい。しかし、ナチスから高い評価を得るたびにジョンの自尊心は満たされ、ナチスの重大な作戦にも関わるようになっていく……

おそらくこの手の映画を観たときによくある反応として、「普通の人でもナチスの迫害政策に加担しうるのだ……時代が違えば、もしかしたら私も……」とびくびくする、という反応があると思うのだが、正直に言って、ジョンはかなりしょうもないやつで、俺だったらこうはならんなとか思った。もちろんこれは、少なくともこの舞台を見る限りでは、という話で、元の戯曲は十分説得力のあるものなのかもしれない。とはいえ、しょうもない男がずるずるとHappyに引きずられ、Goodから遠ざかって破滅していく様を見るのは、一つの悲劇としてまあ楽しめた。

 


先月のdiary|2023/10

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diary|2023/10

2023/10/22(Sun.)|たん読最終回、ゼミ、君島大空独奏

朝から『哲学探究』を読む会(たん読)を開催。今日で最後まで読み切ることができた。来週は完走記念にZoom飲み会をすることにした。日曜の朝から偉大なことを成し遂げて気分がいい。

お昼はゼミに参加してから、夕方は紫明会館へ。今日もまた君島大空のライブがあるのだ。昨日よりかは女性客が多い印象がある。

独奏は、バンドツアーの合間にできるのが信じられないくらいの練度の高さだった。これまで君島さんの独奏は何度か聴いてきたが、過去一番の出来だったのではないかと思う。特に「˖嵐₊˚ˑ༄」と「c r a z y」 のアレンジが素晴らしかった。前者はガットギター一本で電子音の渦を表現し、後者はオリジナルの轟音をしっとりとした弾き語りにうまくまとめていた。

ただ、いくら何でも3時間はやり過ぎだろう。

次のライブは12月の合奏形態だ。それまで修論を頑張るぞい。

 


2023/10/21(Sat.)|吉田山・大文字山登山、君島大空トリオツアー

今日は学部・大学院が主催する大文字山登山(道中の吉田山にも登る)に参加してきた。教員の方もたくさんいらっしゃって、総勢30名ほどの団体になった。

いい天気

吉田山・吉田神社の入り口

配布資料つきのツアー

吉田山から望む大文字山

火床からの眺め

火床で強い風に吹かれて体がめっちゃ冷えたことと、下山の際に足を捻ったことを除けば、愉快なレクリエーションだった。道中で学部生の頃に講義や演習に出ていた英文学の先生と想い出話をしたり、下山後の懇親会で地球科学の先生に哲学のあれこれをお話ししたりしたのも楽しかった。英文学の先生は僕が出したレポート(イギリスの桂冠詩人キャロル・アン・ダフィの「祈り(Prayer)」批評)をよく覚えているそうで「気合の入ったレポートだった。クラスで一番いい点をあげたんだぞ」と言っていて、誇らしい気分になった。


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懇親会を途中で抜けて、夕方からは君島大空トリオのライブ。会場は京都メトロ、縦に長い小さめのハコだ。トリオのライブは初めて見たのだが、合奏形態とはまた違う良さがあった。合奏形態はアベンジャーズがひたすら暴れ回る感じで、正直何が起こっているのかよくわからなくもあるのだが、トリオは親しさが感じられる規模感だ。とはいえ、ステージにいるのが3人だけとは思えないほど音が分厚くリッチだった。

3曲目の「No heavenly」の歌い方が、かつてのカネコアヤノの「さよーならあなた」のAメロのそれにそっくりだった。


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2023/10/19(Thu.)|ニットを買った

昨日は三条に行ってロフトマン(洋服屋)にも行ってきたのだが、そのとき気になったニットがまだ心から離れなかったので、今日もまたロフトマンに行った。

ロフトマンはやな感じの店員が多くて(特に男性店員)、低く響く声で「らっしゃいませ〜〜」と言いながら、客に睨みを効かせ、マンツーマンディフェンスみたいなマークをしてくる。昨日声をかけてきた店員もそんな感じで、おまけに軽く服イキりをしていてきつかった。要するに、なんかこう、チャラいのである。「今日は違う人であってくれ……!」と願って行ったら、今日の店員さんは全然普通な感じだった。よかったよかった。

黒と茶が混じった、ローズウッドというニュアンスのある色のニットを買ったのだが、ロフトマンの店内の照明じゃ色がわかりにくかった(お店の明かりが暖色系なせいで、服が実際のところどんな色をしているのか分かりにくいのだ)ので、店先の自然光の当たるところで見せてもらったりした。

冬は嫌いだが、このニットがあれば、まあまあ許せるくらいにはなるだろう。

今日の素敵なもの|君島大空「16:28」-Official Music Video-

「No heavenly」のサンプリングにさしかかるあたりの映像が鳥肌立つ。


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2023/10/18(Wed.)|完全オフ、T8

頭が忙しなくて仕方ないので、今日は完全なるオフにした。一応本を数冊リュックに入れて、三条に参上。高島屋の隣に昨日開業したT8をぶらぶらしてきた。良い意味で昔の百貨店の雰囲気はゼロで(実際、多分レジも店舗ごとになっていて、テナントが入る形式になっている)若者が集まりそうなところになっていた。

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エントランスには巨大マリオがいる

蔦屋書店も入っていた。蔦屋書店は2フロアあって、岡崎の店舗よりもゆったり過ごすことができる。アート系に力が入っているようで、マティスのジャズ(のリプリント)とか巨人が読むんかいというようなクソデカサイズの画集なども売っていた。

 


2023/10/14(Sat.)|疲労が溜まっている、ほしい物リスト

ここ最近、頭の中をずっと修論のことが占めていて、うまく休めていない。

そういえば、匿名でほしい物リストからビスコをいただいた(10/04(Wed.)の日記を参照)。大変ありがたい限りです。石油王、ホテル王、カジノ王、その他の大富豪の皆さん、引き続きお願いします。

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2023/10/07(Sat.)|UAのライブ

Billboard Live大阪でUAのライブを観てきた。UAのライブは初めてでたのしかった。

 


2023/10/04(Wed.)|誕生日プレゼント前借りさせてください

誕生日プレゼント、前借りさせてください。

私の誕生日は年末も年末なのだが、おそらくその頃は修士論文の仕上げでもうてんてこ舞いだと思う。なので、このブログを読んでいる大富豪の皆さん、今のうちに誕生日プレゼントの前借りをさせてください。

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今日の素敵なもの|大竹美希のドラム


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2023/10/03(Tue.)|丸ブラ、実家のような安心感

京都に帰る前に丸の内をぶらぶらした。私の大好きなブランドTHEもKITTEでちゃんとチェックしてきた。冬が近づいてくるたびに、今年こそTHIS IS A SWEATER.を買おうと決心している気がする。今年も決心した。Bulyも見つけたので寄ってしまった。次の香水決定戦でAēsopのエレミアに敗れたリケン・デコス(2023/09/10(Sun.), 20(Wed.)を参照)は、やはりいい匂いだ。ムエットをいくつかもらったのだが、ご丁寧にもそれぞれ別のプラ袋に入れてくれた。匂いも混ざらないし、揮発が遅くなってだいぶ長いこと香りを確かめられる。ナイス気遣い。

東京駅でお土産を買って、帰洛。お土産は何にするか迷っていたのだが、THE DROSというブランドのフィナンシェを買った。決め手はなんと言ってもパッケージデザインだ。AUDREYが好きな人とかにおすすめ。

thedros.jp

帰洛してから、早速職場にお土産を届けたり、返却期限を過ぎた本を返したり、活動的な1日だった。

ナイスお留守番

実家のような安心感
今日の素敵なもの|細井徳太郎『魚 _ 魚』

日付が変わった瞬間にスマホにかじりついて聴いた。

先日の「今日の素敵なもの」である君島大空の『no public sounds』とこちらを聴いていたら10月なんてあっという間に終わってしまう。

 


2023/10/02(Mon.)|内定式

今日は内定式のためにTOKIOへ参上した。

お留守番を頼んだ

京都駅はリクルートスーツに身を包んだ内定者らしき人たちで溢れかえっていた。それに対して私は、茶色のタッセルローファーに黒のスラックス、白Tにカーディガンみたいなニットジャケットというラフな格好だった。「ジャケット着用」とだけ言われていたので、そんな格好で行ったのだが、実際の御社の内定式は、ちゃんとしたスーツの人が多かった。そういうことは気にしないタイプなので、どうだっていいが。他の内定者は、私を見てアート・クリエイティブの人というイメージを持ったとのことだった。クリエイティブに行きたいので、願ったり叶ったりだ。

かねてから内定者の人たちには早慶特有の「うえ〜〜〜〜〜い↑↑」というノリを感じており、それはあながち間違っていなかったのだが、私のようなジメっとしたメンタリティ(ジメジメンタリティ)を持つ人もちらほらいて、安心した。

あと、ファッションを中心として美的なものに関心のある人が多くて、その点も普段のコミュニティとはぜんぜん違うポイントで楽しかった。眼鏡や香水の話なんて、いつもはできないからね。

 


2023/10/01(Sun.)|もうじうがつ!、ゼミで訳文検討会

最近はゼミでスタンリー・カヴェルの「言うことは意味することでなければならないか」の訳文検討会をしてもらっている。今日は僕合わせて4人でやったのだが、2時間で2段落しか進まなかった。全12節ある中の、2節分が終わった。遅いが着実に進んでいる。

https://www.tandfonline.com/doi/ref/10.1080/00201745808601279?scroll=top

検討会をする度に、翻訳とはとんでもない営みだと思わされる。こんなに大変なのに、裏切り者とか言われるの(“Traduttore, traditore.”)、マジやってらんねえよばーか。

というわけで、うまく訳せたところを貼っておく。褒めてください。

These ways of philosophy seem, like friends who have quarreled, to be able neither to tolerate nor to ignore one another. I shall frequently be saying something one could not fail to know; and that will appear trivial. I shall also be suggesting that something we know is being overemphasized and something else not taken seriously enough; and that will appear dogmatic. But since I am committed to this dialogue, the time is past for worrying about appearances.

両者の哲学のやり方は、あたかも仲違いした友人のように、互いを許すことも無視することもできないように思われる。私は、人が必ずや知っているであろうことを幾度となく述べるが、それは瑣末に見えるだろう。また私は、私たちが知っていることの一部は過度に強調されており、その他の部分は十分真剣には捉えられていないことを示すが、それは独断的に見えるだろう。しかし、私はこの対話に専念(コミット)しているのだから、見てくれを気にするのはもうお終いだ。(MWM p. 173)

But if this is what their claims amount to, it hardly seems worth a philosopher's time to try to collect evidence for them.

しかし、もし彼らの主張がこうしたものに過ぎないのであれば、日常言語に関する証拠を集めようとすることには、哲学者が時間を費やす甲斐がほとんどないように思われる。(MWM p. 173)

[…] we must bear in mind the fact that these statements — statements that something is said in English — are being made by native speakers of English. Such speakers do not, in general, need evidence for what is said in the language; they are the source of such evidence. It is from them that the descriptive linguist takes the corpus of utterances on the basis of which he will construct a grammar of that language. […] in general, to tell what is and isn't English, and to tell whether what is said is properly used, the native speaker can rely on his own nose […].

これらの〔第一のタイプの〕言明——あることが日本語で言われるという言明——が日本語を母語とする話者によってなされていることを心に留めておかなければならない。そのような話者は一般に、その言語において何が言われるかについての証拠を必要としない。むしろ、母語話者こそがそのような証拠の源なのである。記述的な言語学者が言語の文法を構築する上で基礎に据える発話のコーパスを得るのは、他でもない母語話者からなのである。一般に、何が日本語であって何がそうでないかを判断するのに、言われることが適切に使用されているかどうかを判断するのに、母語話者は自らの勘(nose)を頼りにすることができるのだ。(MWM p. 174–75)

今日の素敵なもの|君島大空『no public sounds』

1月に1stメジャーアルバムを出した君島大空が9月末に早速2ndアルバムを出した。どちらもハイクオリティな名盤だ。10月のトリオのライブと12月の合奏形態のライブがもう本当に楽しみ。

 


先月のdiary|2023/09

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