議論してるときに「個人的に」って言うな

「個人的に……と思う」という表現(日和った表現、いわゆる「ヘッジ」の一つ)が大嫌いである。正確には、その表現自体には何の罪もないし、ヘッジすべきときにヘッジすればよいと思うのだが、ヘッジしつつもどことなく自らの意見を通そうとするようなズルい仕方で使用する人が嫌いである。

例えば、議論をする際(議論でなくてもその人の見解を打ち出す必要のあるあらゆる場面で)、「個人的には……と思うんですけど」と言われるのが堪らなく嫌だ。

議論以外の場であれば、嫌さを感じないこともある。——友人とレストランに行く。私は初めてそこに行くのだが、常連客の友人はメニューを知り尽くしている。友人が言う、「ここはA定食が一番人気だけど、個人的にはB定食がオススメだよ」。このように、議論をしておらず、その人のオススメを訊くようなシーンでは、その「個人的に」に問題はない。

友人はB定食を勧めるが、私は——B定食を退ける積極的な理由を持ち出すことなく、そしてまたA定食を選ぶ積極的な理由も持ち出すことなく——A定食を選択することができる。Bはそれに対して文句を言う権利がない。あくまでBのオススメは「個人的な」ものなのだから。「個人的な」と言われる当の考えはその人だけのものであり、他人からどうこう言われる筋合いのない領域に存するが、それと同時に、他人どうこう言う権利のない領域にも存するのだ。

すなわち、「個人的に……」と意見を述べることは、その意見を、他のどの意見からも影響を受けず、そして他のどの意見にも影響を与えない、独立した空間に位置づけることである。

他方で、議論の場で「個人的に」が用いられる場合は事情が異なってくる。「個人的に……」と自らの意見や解釈を述べる人は、おそらく、その意見や解釈の内容を吟味することなく破棄されることを認めないだろう。議論の場で、自らの意見が等閑に付され破棄されるのを眺める人は馬鹿であるし、そもそもそんなものは適切な議論の場ではない。私は、議論の場で「個人的に」と言われると、「なるほど、あなたはそう思うんですね。で? だから何? あなたがそう思ってるだけでしょ?」と応答したくなる。この私の応答を意地悪だと思うならば——実際かなり意地悪だろう——、自らが述べた意見や解釈が、他の意見に影響を与えうるものであることを認めていることになる。

私が議論の場で「個人的に」を使われることに抵抗を感じるのは、まさにこの点に存する。すなわち、議論の場で「個人的に」と述べる人は、他の意見から影響を排しつつも、まさに議論の場でそれを述べることによって、他の意見に影響を与えようとしているのである。

本来、「個人的に」という言葉は、自らの意見が、他の意見からの影響を受けず、そして他の意見への影響を持たないものであることを述べ立てるものである。「個人的に」と述べることによってその人は、自らの意見が、他の意見に影響を与えることと引き換えに、他の意見から影響を受けないようにする。あるいは、他の意見から影響を受けないようにすることと引き換えに、他の意見に影響を与えることを断念するのだ。これはまさしく「個人的に」という表現を用いる際に引き受けなければならない事柄である。

議論の場で「個人的に……」と意見を述べ、そしてその意見が等閑にされることを拒む人は、「個人的に」という言葉を用いる際に引き受けるべきコミットメントから免れながら、その言葉を用いて得られる利益を得ようとしているのだ。他の意見へ影響を与えようとすると共に、他の意見から影響を受けないようにしているのだ。

こう考えると、先の私の(ともすると意地悪な)応答——「なるほど、あなたはそう思うんですね。で? だから何? あなたがそう思ってるだけでしょ?」——は、見かけほど意地悪ではないのかもしれない。なぜならそれは、「個人的に」という言葉のコミットメントから逃れて利益を得ようとするフリーライダーに対して、引き受けるべきコミットメントを(再)提示する営みだからだ。*1

追記

eudaimon-richo.hatenablog.jp

 

*1:2023/09/11(Mon.)の日記から転載

eudaimon-richo.hatenablog.jp