diary|2022/04

2022/04/25(Mon.)——授業、メール・メール・メール

昨日からの疲れが溜まっていたので、昼過ぎまで布団の中でじっとしていたのだが、地震で叩き起こされた。

4限もあるので仕方なく大学に向かった。今日は最高気温が29度とかで(頭おかしい)、今年初の半袖シャツだった。scyeのボーダーT。

授業の後に事務連絡をしまくっていたら日が落ちて、一日が終わった。

 

2022/04/24(Sun.)——新入生歓迎会、第1回じじ読

今日は新入生歓迎会があったので、同期全員とたくさん喋って楽しかった。先輩ともよく喋った。最近は活動量が多いから疲れも溜まるけど、嬉しい出来事が盛りだくさんで何とかなっている。

雨でしっとり濡れている

夜は第1回じじ読だった。割とたくさんの人が参加してくれて、今後も無事長く続けられそうな雰囲気だった。開催時間などの詳細を決定して、後日読書会を再び告知した。

www.philosophyonline.net

 

2022/04/23(Sat.)——モーニング、カフェ

哲学の道を散策した。この前来たとき(2022/04/06)は桜が満開だったのに、もう桜の花びらひとつ見えなくなっていた。

 

2022/04/22(Fri.)——差異を単色で塗りつぶすこと、それから差異を復元すること

今日は母親と姉が京都に襲来したので、ご飯を一緒に食べたり、近況を報告したりした。

Le Bouchon

三条の近くまで来たので、MoMA Design Storeの定期巡回に赴いた。オンラインストアで見て気になっていた文房具ブランドPapier Tigreのペンケースとカメラを隠すやつを買った。なかなかかわいい。MoMA Design Storeでの取り扱いは少ないものの、ブランドの公式サイトでは他にもさまざまなアイテムがある。見ているだけで楽しい。

papiertigre.shop

ペンケース。少し長めなのでペンに加えて付箋を入れられる

papiertigre.shop

CACHE CACHE。 ウェブカメラカバー。

papiertigre.shop

あと、額縁付きポスターの新作がディスプレイされていた。マティスので、春っぽくて元気が出てくる。大好きな画家だ。大富豪がこのブログを見ていたら、ぜひ買って欲しい。

The Open Window Collioure

そんな話をしている場合ではないのだった。標題の通り、「差異を単色で塗りつぶすこと、そして差異を復元すること」について書かねばならない。これは、私が卒論を執筆する過程で考えていたテーマでもあり、今日の演習ではっきりとその重要性が理解できたテーマである。

哲学者の中には、日常的に区別がなされている事柄に対して、それを一つの色で塗りつぶす、そうしたラディカルな一手を指す者がいる。大哲学者と考えられる者の中にも、こうした単色での塗りつぶしに、その思想の核心がある者もいる。例えば、何が存在するのかといった問いに対して、心的なものと物的なものを区別して両者が存在するとする論者がいる一方で、この手の哲学者は、心的なもの、あるいは物的なもの、はたまた中立的なものだけが存在すると考える。また、性質については、内在的な性質と構造的性質の区別を温存する論者がいる一方で、これもまた、原理的にはどちらか一方のみが存在する一元論を考えることができる。

これは憶測ではあるが、一般に、こうした本来は差異があるところを単色で塗りつぶすことは、全然可能であるし、哲学史上普通になされてきたことだろう。哲学の由緒ある悪癖と言っていいかもしれない。そして、その塗りつぶしは、整合性の追求という旗印のもとでなされる(潔癖症の症状の一つでもあるのだが)。しかし、その塗りつぶしは、端的に私たちが日常生活ではおおよそ認めている区別をなきものにしてしまうという点で、瑕疵がないとは言えないだろう。

そこで、この塗りつぶしを、哲学者が弄する詭弁でも戯れでもなく、有意義な洞察とするためには、単色での塗りつぶしの後に、元あったはずの区別をこれまでよりも明確化された形で復元・再構成することが必要だ。例えば、バークリが物的なものの存在を認めず、観念論的一元論を提示するとき、あらゆるものが観念であるとして、どうして現実の知覚と夢(あるいは記憶、想像)の区別が日常生活において生じているのかを説明しなければならなかったように、全てを塗りつぶした後で日常に帰ってくる必要があるのだ。そして、日常に帰還する際、すなわち通常認められている区別を再構成する際には、塗りつぶしたことによって、より明瞭に線引きをすることができなければ、その塗りつぶしは単なるマッチポンプとして批判されるべきだろう。

私の議論に引き付けて言えば、あらゆるものが本物である、偽物もまた本物である、と主張するとき、私もこの由緒ある悪癖を引き継ぎ、本物という一つの色で塗りつぶしを行っている。重要なのは、本物で塗りつぶした後にそこで止まらず、では私たちの現実世界にある一部の特権的な本物とそれに対比される偽物という区別はいったい何なのか、この問いに答えることだ。一般的な形で言い直せば、非現実的な単色の世界は、私たちが普段生きているカラフルな世界とどこか違うのか、前者の世界からいかにして後者の世界を構成するのか——こうした問いに答えることが重要だ。

世界を単色で塗りつぶすのは、容易い。一色の絵の具で塗りつぶしがちな哲学者の腕の見せ所は、単に世界をモノトーンにすることではなく、モノトーンとフルカラーの世界をどのように媒介するかだ。

 

2022/04/21(Thu.)——授業、なみのおと、PASSION

標題にある通り、2限の授業を受けて、濱口竜介監督の『なみのおと』と『PASSION』を観た。授業は先生の研究室で紅茶を飲みながら懐疑論についてわいわい議論してたらあっという間だった。そのあとは附属図書館で『なみのおと』を観て、夜は木曜サロンの方々と『PASSION』を観た。『なみのおと』は初めて観た。最初の方はちょっとペースがゆったりしていたが、潜水士の夫婦の話のあたりから盛り上がってきて良かった。三部作のうち残りの二部作も時間を見つけて観たい。

昼の間には新しいアルバイトの面接も受けてきたので、色々な方面の人と色々な話をした一日だった。最近は元気が続いているから、たくさん人と喋っても、疲れたり傷んだりするのは喉や体だけで済んでいる。

 

2022/04/20(Wed.)——面談

昨日は元気で少し頑張りすぎたせいもあって(だって3つも授業あったんだもの)、昼過ぎまでゆっくりしていた。頭も少しぼうっとして何も考えられなかった。とりあえず大学に行くことにして様子を見るかと思っていたが、研究室に着いたら同期がいて、研究の話(しかもこちらの専門の話)をし始めてしまって、結局めちゃくちゃ頭を使った。疲れはするが、心地よい貴重な時間だ。僕の専門の話を前提なしに突然始められるのは彼くらいかもしれない。もちろん最初の頃は何も伝わらなかったのだが、会うたびにその話をしているせいで、僕が考えたことあるけれども書いてはいない(温めている)問題を指摘するようにまでなってきて、少し引いてる。

そのあとは指導教員とは別の先生と面談して、近況や研究内容、そのほか本物と偽物をめぐる面白いニュースについていろいろ相談した。大変よい意味で専門が違う先生なので、リラックスしてなんでも話せてしまう。その先生自身の性格にもよるのだが、仲のよい親戚のおじさんがいたらこんな感じだろうと思う。

 

2022/04/19(Tue.)——今日‘は’元気だ!

なんか朝から調子が良くて、9時半には家を出ていた。昨年の11月から12月あたりには、調子の悪い一週間と調子のいい一週間が交互に来るという周期だったのだが、その周期がまたきたのかもしれない。こう書くとまるで悪いことのようだが、調子のいい時が一週間あるなんてのは本当に喜ぶべきことだし、調子が悪くてもそこを乗り切れば調子が戻ってくると希望を抱けるのも喜ぶべきことだ。

もちろん授業は受講者にとって負担になるが、大学に行くべきというほどよく緩やかな義務が発生した方が元気になるかもしれない。家でずっと寝ていたら、最初ちょっと調子が悪いくらいでも、だんだん調子が悪化してしまいがちだが、多少無理して平気なふりして大学に来て作業しているうちに本当に平気になってくることもある。

2限3限4限とそれぞれそこそこ集中しながら、5限は研究室でだべったり作業したりと充実した一日だった。2限の授業の時に気が付いたのだが、パソコンを家に忘れていて——調子が良かったので威勢よく家を出たので忘れたのだろう——、お昼休みの間に取りに帰った。それでもまだまだ元気だった。一日の最後に、ちゃんと活動したことによるぐったり感を覚えたのはかなり久しぶりかもしれない。

疲れたので帰りに少しいいスーパーでジンジャーエールを買おうと思ったのだが、なかった。取り扱いがなくなっているっぽい。膝から崩れ落ちた。そうしてできた窪みが、千年の都が置かれた今の京都の盆地となっています。

お酒は一切飲まないけれども、お酒が出されるような場面ではほとんど決まってジンジャーエールを頼むし、辛口のジンジャーエールがあれば確実に頼むくらい、ジンジャーエールが好きだ。いや、実の所そんなめちゃくちゃ好きというわけでもないが、「とりあえず生で」の「生」の代わりに「ジンジャーエール」というくらいのスタンス。で、辛口のジンジャーエールは特に好きなのだが、なかなかその辺のスーパーでは売っていない。近所の少し高級なスーパーでしか見たことがない。そして、そのスーパーでも取り扱いがなくなってしまった。日頃からもっと熱心に足を運んで買っていればこんなことにはならなかったのかもしれない。

京都にお住まいの皆様で、辛口のジンジャーエールが飲めるお店や、買えるお店をご存知の方がいらっしゃれば教えてください。(そのスーパーの向かいにある小さな喫茶店では、お手製の辛口ジンジャーエールがあって、それはウィルキンソンとは違って、まじですりおろした生姜がモリモリ入っている。辛い。のだが、なんか何度も口に運んでしまう。)

 

2022/04/18(Mon.)——休講、健康診断、新緑

朝から変わらず調子が悪く昼過ぎまで横になっていたのだが、4限と健康診断があるので、仕方なく大学まで這って行った。4限の教室に入ると誰もいなかった(潜りなので授業連絡がわからない)。休講だろうと判断し——後でサイトに追加してもらったら無事休講だった——、ルネをうろうろして本を何冊か見繕って、健康診断に行った。進級ではあるが入学でもあるので、例年やってなかった胸部X線検査をするらしい。野外、時計台の横で人通りがそこそこある中、「シャツ一枚になってください」と言われてまごついた。女性の健康診断の時間帯はさすがに四方を覆われたテントで着替えをするのだが、男性の時間帯はそんな配慮はしていられないということか。特に困るわけでもないが、単に恥ずかしい。誰も自分のことなど見ていないだろうが。ヨレヨレのインナーじゃなくてよかった。

桜もほとんど散ってきて、新緑に移り変わってきた。初夏のムードは好きだ。桜が咲いているのもうれしいが、少しもの悲しいので、新緑がわさわさ生えている方がポジティブな気分になれる。大文字山比叡山が新緑でモザイク状に彩られるのも、見ていて楽しい。

相変わらず大学は人が多くて息苦しい。院生研究室や先生の研究室はオアシスだ。本棚を一段分もらえたのでいい感じに整えたい。

 

2022/04/17(Sun.)

起き上がることが難しい。

 

2022/04/13(Wed.)

春休みに比べたらだいぶ活動しているので、すっかり疲れてしまっている。気分も落ち込みがちだ。心臓の両端を持ってキリキリ絞られているみたいな苦しみがある。心臓が捩じ切れそうだ。

 

2022/04/12(Tue.)——虚無感の折りぐせ

授業に出ると、自分と同じような属性をもつ人間が集まり、顕在化するのだが、そのせいで漠然とした苦しみを覚えている可能性が高い。

今日は特に何もかもが虚しく感じられるのだが、この虚無感にはいわば折りぐせのようなものがあって、一度強く折り目がつけられると、二度目以降は一度目よりも些細なことをきっかけに虚無感に襲われるようになる。

 

2022/04/11(Mon.)——(たいていの)授業つまらん

ついこの間まで面白い授業が意外とあるなあ〜なんて思っていたのだが、それはシラバスを眺めているときだけで、実際に授業に出てみると退屈なものばかりだ。授業なんてそんなものばかりなのだが、私の側がその退屈さに耐える練習を最近できていなかったので、かなり辛いことになっている。自分がやっている研究テーマくらいドンピシャの話じゃないと、集中を維持できない。

 

2022/04/09-10(Sat. Sun.)

眠気が酷かったのでほとんど寝ていた。本当に一日20時間くらいは寝た気がする。いつもに比べて活動していた日が続いていたので、その反動かもしれない。なんでこんなに眠いの。

 

2022/04/08(Fri.)——授業はじめ

今日から授業が始まった。最初の週の授業はガイダンスばかりでつまらないのだが、指導教員との面談があったおかげで、まあまあ楽しい一日であった。論文を書くぞーという意気込み。

 

2022/04/07(Thu.)——入学式

入学式があった。これまでに出席してきた入学式の中で最も緊張感のない会であったが(学部と何も変わらないので)、研究科のガイダンスや研究室の面々と顔合わせをしたことにより、大学院が始まるという実感は確かにある。

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午前中から活動して午後まで外にいると流石に疲弊する。しかも、今日はたくさん喋ったので喉がヒリヒリしている。

思ったよりも面白そうな授業が多かったので、どれだけ自分で勝手に勉強することにして、どの授業を正式に履修するか、迷い中である。授業を受けることはもちろん、自分の研究をどこまで進められるかも(というかその方が)重要なので、授業少なめのいい塩梅でやっていきたい。

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本日の編み

 

2022/04/06(Wed.)——散歩日和

さすがに授業開始が迫ってきたので今日は履修登録をするつもりだったのだが、天気がいいのでそれをほっぽりだして哲学の道を散歩してきた。

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2022/04/05(Tue.)——都市伝説ではなかった

今日は朝からかなり厄介な事案を含むメールのやりとりを多方面としていたら、いつの間にやら夕方になっていた。よく、大学教員などがメールのやりとりなどの業務に忙殺されるといった話を聞くが、いやさすがにメールのやりとりだけでそんなことにはならんやろと思っていたのだが、どうやら事実だったみたいだ。

4月2日のビルボードライブで演奏を聴いてから、石若駿さんにハマっている。前から好きだったのだが、その評価はより確信的なものとなったというわけだ。石若さんは色々なグループのサポートで引っ張りだこだが、数えてみたらものすごい数になるんじゃないか? いろいろ聴いていてあれ?と思って調べてみたら、石若さんが叩いていたみたいなことばっかりだ。あくまで私の推測に過ぎないが、おそらく石若さんは5人くらいいる。

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本日の編み

 

2022/04/04(Mon.)——ビラロード、ビラシャトルラン

風は冷たいが、陽は暖かく、お互いがいい塩梅に春を調整していてお昼の間は大変結構だった。今日も図書を借りられるかな〜と大学に行ったのだが、今日もダメで明日かららしい。いや、特にこれといって借りなければならない本があるわけではないのだが、本を借りられないという事実があるだけで、実際に借りるか否かにかかわらず、一定の不快感が生じる。とはいえ、本を借りようというくらいには元気である。

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ビラロード

入学式は7日なのだが、健康診断だかガイダンスだかなんだかで、すでに新入生がキャンパスをうろついており、またそうした新入生をとっ捕まえんとする上回生もうろついていた。今貼った写真は風物詩のビラロードを映したもの。これまでのビラロードとは全く様子が異なるだろう。グラウンドに白線が引かれており、見たところ、その白線の間に上回生が等間隔に並ぶように、そしてその白線をはみ出さない範囲でビラ配りをするように指示されているらしい。新入生は新入生のエリア(道)が確保されており、その道を、グラウンドを南北に往復しながら進むというわけだ。

コロナ禍以前はこうだった……みたいな老人じみた話はしたくないのだが、半分老人なのでしてしまう。私が入学したときには——どこの大学でもみなそんな感じじゃないかと推測するが——新入生が健康診断やらで作る列の両端に上回生が並び、あるいは逆で、上回生が作った道を新入生に進ませ、そしてビラを押し付ける、列が止まれば目の前の新入生に詳しい説明を開陳する、といった様子だった。

 

2022/04/03(Sun.)

低気圧のせいもあるのだろうが、調子が悪かったのでひたすら寝ていた。寝ている時に焦らなくなったのは偉い。

 

2022/04/02(Sat.)——はじめてのビルボードライブ

まだ図書を借りられない。のにわざわざ大学に本を借りに行ってしまったので、ルネで適当にご飯を食べるだけで自宅に戻るハメになった。ルネではパーテーションを取っ払ってビラ折りに専念する集団がおり、治安が悪いなあと思った。こんな目に遭っても、今日は待ちに待ったライブの日だ。だから今日の俺はなんでも許してしまう。こんなに良い気分なのは、ある方から卒論に対して望外の評価をいただけたことも関係している。この前の人文系の卒論を互いに読む会でも、自分の卒論を思ったよりも褒めてもらえたので、もしかして意外と自分の卒論はいい感じなのでは、と思い上がっている。ちょろい。

待ちに待ったライブというのは、君島大空と石若駿のライブ「Billboard Live周遊 外は春の形」。時間ちょうどに目的地に着くのが下手くそなので、早めに大阪に着弾して、大阪梅田あたりを探検していた。グランフロント大阪に何が入っていて、どこで時間を潰せるかが大体わかってきた。とりあえず今日はIDEEとKEYUCAで時間を潰した。後者はちょうど今年の3月に京都駅にできたらしいが、京都駅なんてほとんど行かないので、やはり貴重である。前者はここ以外では関東しか店舗ないので無論貴重。

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よく見えないが、奥に石若さんが弾くピアノもある

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愉快愉快

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ビルボードライブなるものに初めて行ったが、これが大変よかった。普段(レストランなしの)ライブハウス開催のばかり行っている身からすれば、チケットは少々お高いけれども、諸々のクオリティが高いので全然満足だ。ステージをぐるっと囲むような形で半円状に座席が配置されているのだが、天井の「ノ」の字のスピーカーが横向きにもついていて、ステージ横の席でも十分いい音が聞けるんじゃないかと思う。君島大空のライブチケットはいつもフラゲなので、大抵最前列なのだが、今回はやや出遅れた——そもそもチケット買うつもりもあまりなかった——ので、テーブル席の一番後ろのポジションだった。音響的にはベストの位置だろう。ミュージシャンの実力ももちろんあるだろうが、そのおかげか音がものすごく繊細で心地よかった。ドラムの粒感っていうの?よいどす。落ち着いて座ってライブを鑑賞できるというのも、個人的にグッドだ。腰が弱いおじいちゃんだからね。

いわゆるライブそのものの要素だけでも十分だったのだが、レストラン付きのライブハウスならではというのか、ホールでの接客もとても好感が持てた。僕は指定席を取ったし、あまり迷うこともなくすぐに座席にたどり着いたのだが、他の指定席で席がうまく見つからない人や、自由席でどこの席がいいか悩んでいる客に対して、ちゃんとホールスタッフが一対一でついて(時に座席の特徴を説明しながら)案内していて、さすがだった。自分が座席についた時も、すぐメニューの案内をしてくれたし、注文もドリンクが来るのもスムーズ(料理は少し時間がかかる)。上品な接客だった。普通ライブハウスのスタッフは、若干イライラしながら、整理券の番号や歩道を開けてくださいという注意を呼びかけているという印象があるが、ビルボードはそれとは対照的な落ち着いたレストランという雰囲気だ。そもそもスーツやウェイターユニフォームを身につけている時点で全然違う。客層も違う。

セトリはメモったのだが、そのメモをどこかにやったので書けない。

 

2022/04/01(Fri.)——院生の無職、無職の院生

今日から晴れて院生になったが、曇って(?)無職にもなった。石油王がこの日記を熱心に読んでいる可能性がなくはないので、ほしい物リストを貼っておく。頼むぞ大富豪。

www.amazon.jp

新しい学生証を交付してもらって、最悪だった写真がまあまあ悪い写真になった。学生証のデザインも新デザインに切り替わって良い気分だ。前のデザインはもう逆に好きなくらいダサかった。ただ、しばらくはKULINEは使えないし、図書館にも自動では入れないし、本も借りられないらしい。移行期間だから。

篆刻の作品を教室に取りに行った。もうかれこれ半年以上篆刻ができていないので(元気とモチベがないし、興味まで失いつつある)、自分の作った作品というのも、なんだか冗談のように思えてくる。でも、あまり悪くない出来だと思った。教室の他の生徒さんはもうおじいさんやおばあさんばかりなのだが、そのうちの一人が亡くなってしまっていたらしい。気さくな方だったので悲しい。でもなんだかそのことも現実味がない。このことも悲しい。

 

メモ

日記の下にメモを書いてしまうのも面白いかもしれない。どうせ書かないと忘れちゃうくらいの些細なことだけど、書くことによって強度が増すものもあるから。

ほどよく一人でいること、大学に入学したての頃。

ブラウジングしないと絶対に辿り着けない本がある。

何となくピンクのストライプのシャツを買ってみたものの、何となく似合わない。メガネのせいかも。