最近話題(?)の『すごい哲学』の項目を一つ書いた(「『モナ・リザ』はどこにあるのか?」)

 

🎉『すごい哲学』が発売されました🎉

先月(2022年12月13日)、総合法令出版から『世界最先端の研究が教える すごい哲学』が発売されました。

自分も「『モナ・リザ』はどこにあるのか?」という題で一項目執筆しています。

 

そういえば最近増刷が決まったみたいですね。めでたい。

 

📚何について書いたか📚

芸術作品(特に絵画作品や彫刻作品のような造形芸術作品)存在論について書きました。これらの芸術作品は物理的対象(具体的対象)と考えられることがデフォルトというかよくあるのですが、「いやいや、抽象的対象と考えることもできるのでは?」という議論を紹介しています。現在翻訳企画が進行中のフランク・シブリーの論文集から「『モナ・リザ』はなぜ一枚の絵ではないかもしれないのか」を取り上げました。

  • Sibley, Frank. 2001. “Why the Mona Lisa May Not be a Painting.” In Approach to Aesthetics: Collected Papers on Philosophical Aesthetics, edited by John Benson, Betty Redfern, and Jeremy Roxbee Cox, 256-272. New York: Oxford University Press.

『すごい哲学』では実生活に密着した問題がたくさん扱われていますが、私はちょっと変わった(常識はずれな)ことを言う役割という感じですかね。まあ、私にとっては絵画作品は抽象的対象であるという見解にはそれなりのリアリティがあると思うのですが。この話はまたどこか別のところで詳しく申し上げましょう。

 

✍️どう書いたか✍️

私はこの文章では「何を」書くのかということよりも、「どう」書くのかに注意しました。本書はビジネスパーソンをはじめとして、哲学にあまり馴染みのない方も読まれるものなので、当然の配慮でしょう。これまで専門家向けの文章しかろくに書いてこなかったという自覚があるので*1、これを機に一般向けの文章もかけるようになってやろう、というわけです。

 

例えば以下の工夫を凝らしました。

存在論の問いを「どこにあるのか」という問いに置き換える

何も考えずにタイトルを書くとすれば、あるいは論文っぽいタイトルをつけるとすれば、「絵画作品はどのような類の対象なのか」みたいなやつになったと思いますが、工夫がないしわかりにくいので、より具体的で反応を喚起するようなタイトルにしました。その結果が、「『モナ・リザ』はどこにあるのか?」。

新川拓哉さんが執筆されている「色はどこにあるのか?」も同じ工夫がされていますね。

書き出しを釣りっぽくする

本書には項目がたくさんあるので、最初をチラッと見ただけで印象に残って続きが読みたくなるような書き出しにしました。この試みが成功したかどうかは読者に委ねられると思いますが、いかがでしょう?

 問題。レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた有名な絵画『モナ・リザ』はどこにあるでしょうか?

 正解は、パリのルーヴル美術館です。

 ——本当にそうでしょうか? 実は、哲学のある立場によれば、必ずしもそうではありません。『モナ・リザ』はルーヴルにあるわけではないのです。

(88)

一文、一段落をなるべく短くする

これは編者からの指示だったので、特筆すべきことではないかもしれませんが。息の長い文章はおそらくちゃんと読んでもらえないので、なるべく簡潔に書くように頑張りました。その過程で、体言止めや倒置法を効果的に使えたかなと思っています。

ルビをうまく使う

私の文章では、ある対象「そのもの」とその対象の「現れ」を区別する点が一つのポイントだったので、その区別がわかりやすくなるようにルビを用いました。例えば、

一緒に暮らしているタマという猫は、猫という動物種(タイプ)の一例(トークン)であって、皆さんがおもちのスマホは、iPhoneなどの製品の型式(タイプ)の一例(トークン)、というわけです。

(89, ルビ部分を丸括弧で示した)

みたいな感じ。字数を削減しながら内容を伝える工夫として結構使えるなと思いました。

他の項目を参照する

実は、裏ミッションとして〈「存在論」という言葉を使わずに芸術作品の存在論の話をする〉を掲げて執筆していたのですが、その一方で、この手の話は「存在論」というものだということも伝えたいと思いました(この本をきっかけに勉強する気になった人のために)。そのため、注で「存在論」という語の説明をしつつ、他の存在論に関係する項目を参照しました。

哲学の中でも「世界には何が存在するのか」「存在するものはどのようなあり方で存在するのか」といった問いを考察するものを、特に存在論と言います。本項目はその意味で絵画作品の存在論を扱っています。本書には他にも存在論の項目があります(p. 028, 214, 222, 230)。

(93)

この参照は編者の稲岡さんや森さんにも「偉い!」と言っていただけたので、色々工夫して良かったな〜と思いました。自分が工夫したところをきちんと褒めてもらえるのはうれしい。

 

🤲おわりに🤲

一般に、つまりその辺の本屋さんにも流通する本に文章を書いたのは初めての経験だった。自分の文章がちゃんとマテリアルになっていることには独特の喜びがある。丸善とか京大生協でも売っていて、ちゃんと買う人がいるのだと思った。最初は俺なんかが書いてええんか?とかビビっていたが、思い切って書くことにして良かった(蓋を開けてみたら、僕と同年代の人もチラホラいたしね)。

身の回りの(哲学研究者というわけではない一般の)知人にも事あるごとに『すごい哲学』の宣伝をしたら、「読みましたよ!」とか「面白かったですよ!」「わかりやすかったです!」とかの反応がもらえた。これも大変励みになった。

あと、就活とかでいわゆるガクチカとして使えそうなエピソードができたのも思わぬ副産物だった。ラッキー。

執筆者には女性も比較的たくさんいらっしゃって、編者の方々の差配が功を奏したのかなと思う。他方で、執筆者は東京一極集中という具合なので、その意味では依然偏りはある。いずれにせよいい本ではあるのでみんなに買って欲しい。

そして、私がこのブログ記事で書いてきたように、『すごい哲学』には内容を楽しむという仕方の他に、専門家が一般読者にどのように書いているか、つまり方法を楽しむという仕方もある。専門家にとってはその意味でも学ぶところが多い本かもしれない。

*1:生協の書評誌『綴葉』への投稿は数少ない例外だと思います。私がこれまで書いた書評はresearchmapから見れます。3月か4月ごろには破天荒な文体で書いた書評が出ると思います。

researchmap.jp

筒井晴香(2021)「自分を美しく見せることの意味」のまとめ&コメント

授業で下記の文献を読んだ。

文献へのコメントがやや長くなった(冗長になった)し、気が向いたのでブログにも転載しておく。30分くらいでうりゃーっと一気呵成に書いたので、後で気になるところがあったら修正するかもしれない。

 

 

🥚文献の内容のまとめ🥚

全体的な論旨

タイトルに「自分を美しく見せることの意味」とあるが、この「意味」は「意義」や「価値」とも言える事柄であり、全体の論旨は〈自分を美しく着飾ることには確かに価値があるけど、容姿に関する差別や能力主義に陥るといった問題も含まれているから、手放しで礼賛することはできないね〉というものであった。

「おしゃれ」と能力主義

文献で俎上に上げられるのは(個々のアイテムやコーディネートではなく)ある人がおしゃれだと言われるケースであり、このおしゃれ判断は、身体を素材として生かして美しい容姿を作ることに対する評価である。ボディポジティブムーブメントはオルタナおしゃれ判断を生み出すものではあるけれど、依然として美の基準に固執しており、身体への評価を能力への評価へとシフトさせるという意味で、能力主義に陥りうるという点が指摘される。

「おしゃれイズム」はありうるか

おしゃれに基づくルッキズムは、他の身体的特徴や規範的な服装に基づく差別ほど全面的な悪さはない——悪いとされる文脈は局所的であったり曖昧であったりする。

我々はおしゃれをやめるべきか

前節の通り、おしゃれは差別的な処遇に繋がりうるが、他方で、その人らしさを表現する手段であり、セルフプレゼンテーションの能力を磨くことは自己実現において重要である。
文献の終盤では容姿の美の価値について、オープンな問いを三つ挙げている(これらについては後述)。

 

🐣文献についてのコメント(細かいものも含めて)🐣

pp. 191-92で筒井は、おしゃれをすることを身体を素材として活かして美的によい見た目をつくることだとしており、ボディポジティブムーブメントのモデルを例に挙げている。しかし、筒井論文は、元々の松永さんのおしゃれ判断の議論のうち、人を対象とするおしゃれ判断を念頭に置いており、松永論文によれば人を対象とするおしゃれ判断は行為や行為を行う能力が評価されている。すると、おしゃれなモデルが評価されているのはあくまでコーディネートや身体的特徴の活かし方であって、モデル自身の行為や能力が評価されているわけではないのではないか(そのとき評価されているのはスタイリストの能力、ということになる)。もちろん、ここで念頭に置かれているのがモデルの私服であれば話は別だが。

(細かいコメント)おしゃれに基づくルッキズムを「おしゃれイズム」と呼ぶのはキャッチーだが、同時にミスリーディングではないか。というのも、テレビ番組が想像されるかもしれないし、おしゃれ至上主義のような立場があればそれも「おしゃれイズム」と呼ばれるだろうから。実際、筒井も「おしゃれイズム」を使っているのは設題含めて2回ほどであるし、「おしゃれイズム」という用語の導入も疑問符を伴っており、そのように日和るくらいならこの用語はなくていいだろうと思った。

〈ボディポジティブのムーブメントやそのモデルもまたおしゃれである〉という論点に関して、おしゃれだとされている対象が何なのかが文献中で揺れていると思われる(私の前の前のコメントも参照)。例えばp. 195では「そのような言説〔ボディポジティブの言説〕の提示のされ方は、たいがいダサくはなく、おしゃれなのである」(p. 195)とあるが、ここでおしゃれだと判断されているのはもはや、明らかに人ではない(むしろ評価対象は雑誌やメディアだろう)。つまり、ボディポジティブに関わるおしゃれ判断にはさまざまな適用対象があり、筒井文献はそれらをざっくりひとまとめに論じているのではないか、ということ。例えば、自分では自分をいい感じに着飾ることのできない人が雑誌編集で巧みな能力を発揮するということはありうる。この例を踏まえれば、筒井は「あたかも、おしゃれでなければ大手を振ってルッキズム反対とは言えないかのようである。ここには果たして欺瞞はないのか、と考えたことのある人もいるのではないのだろうか」と述べているが、それに対する応答は「欺瞞はないでしょ(何においておしゃれなのかが異なるので、おしゃれに関わる一貫性がないという批判は当たらない)」というものになる。

  • 実践的には、雑誌などのおしゃれさとそれを読む人の装いのおしゃれさは相関関係にあると思う。そして、ボディポジティブがおしゃれな雑誌で、あるいはおしゃれな仕方で伝達されるのは、すでにある仕方でおしゃれな人に対してオルタナティブなおしゃれのあり方を提示するという意味で、プラグマティックには有意義なことだろうと思う。どんな仕方であれおしゃれでない人や、そもそもおしゃれを目指していない(興味のない)人にボディポジティブのムーブメントを示しても、「だから何?」となるだろうし。

文献の最後では三つの問いがオープンな形で残されている。①「セルフプレゼンテーションの価値が現在高いことは現代のメディア環境に依るのではないか」、②「おしゃれをすること、おしゃれに惹かれることは、消費文化に依るのではないか」、③「非身体的・脱身体的な美を追求することで自己実現をすることも可能なのではないか」、の三つ。

どれも十分な解答を与えることが簡単には済まない問題であることには同意するが、少し私も敷衍したい。①と②については確かにその通りであるとして、とはいえ現代とは異なる文化や環境においても、自己実現をすることの重要性は、もっといえばおしゃれをすることで自己実現をすることの重要性は一定程度はあるのではないかと思う。(そしてこの態度は、反おしゃれ主義(ないし「おしゃれイズム」)と相容れない態度である。)

③もそれ自体としてはうなづける論点だが、非身体的・脱身体的な美の追求もまた能力主義に陥るはずである。インテリアにこだわったり、身体を一切顧慮しないおしゃれをしたりすることは、確かにこれまでの人間的なおしゃれから離れた形での自己実現を可能にするだろう。しかし、それはあくまで脱身体的な能力主義の一形態であり、そして能力主義が人を疎外するものなのであれば、③を採っても疎外からは逃れられないということになる。

 

🐓文献とは関係ないコメント🐓

文献には直接関係しないのですが、おしゃれ実践に関して自分でも気になっている直観があるので、ついでにコメントしてしまいます。以下のような事例(思考実験)を考えてみます。

ランダムさんはおしゃれ好きで、ものすごく多くのそしてバラエティに富んだ服をもっています。そして、毎日異なるスタイルの洋服でおしゃれを楽しんでいます。一昨日はストリート、昨日はモード、今日はプレッピー、明日は……。

そしてもう一人、おしゃれ好きのインテグラルさんがいます。インテグラルさんも確かにおしゃれではあるのですが、ランダムさんと違って服は似たような種類のものをいくつも持っています(例えばノームコアだとしましょう)。毎日似たような白Tと黒パンで、明日の服装を予想するのは実に簡単です。インテグラルさんも、毎日お気に入りの服でおしゃれを楽しんでいます。

このような事例を考えると、ランダムさんとインテグラルさんもどちらも違った意味でおしゃれではあると言えるのですが、ランダムさんにはおしゃれにとって重要な何かが欠けているのではないか、と私は思っています。それはおそらく、「美的に一貫した個性」とでも呼ぶべきものなのでしょうが、そもそもこの直観を他の人は持っているのか、持っているとしてランダムさんには何が欠けているのか、といったことをファッションに関わる疑問として考えています。

diary|2023/01

2023/01/27(Fri.)|中間発表1日目

中間発表1日目ということで、同期の発表を聞くためクソ寒いなか大学に参上した。僕は2日目だし、それも土日挟んで月曜日なので、余裕でへらへらしている。

佇む鷺

雪が積もって曇って白っちゃけている雰囲気がかっこいい


www.youtube.com

 

2023/01/26(Thu.)|散髪

こんなクソ寒いのに過去の俺が予約していたせいで散髪する羽目になった。刈り上げた部分がスースーして寒い。が、カッコよくなった(当者比)。美容師さんにも『すごい哲学』を布教したおかげで、なんと買ってくれたらしい(まだ読んでなくて積んでるらしい)。あたしゃそれだけでうれしいよ。

 

2023/01/25(Wed.)|そとは雪、うちは好き

昨日からどかどか雪が降っているみたいだし、めちゃくちゃ寒そうだったので、部屋でまったり中間発表の準備を進めた。穏やかな一日だった。

 

2023/01/24(Tue.)|中間発表準備、雪☃️

今日から寒波がお出ましになる。家を出るときは小雪がちらついているくらいで、自転車でも大学に行けそうだったのだが、念の為歩いて行った。夕方からどかどか雪が降ってきた。歩いて行ってよかった……

こんなに雪が降ったのは人生でも初めてかもしれなくて、めちゃテンション上がった。雪が降ったときの、あの外がしんと静まりかえる雰囲気が大好きだ。

大学でムーア命題とウィトゲンシュタインの「確実性について」について色々と調べた。中間発表の原稿を着々と進める。手を動かすのが大事だ。もちろん手だけを動かしていればいいわけではなくて頭も適宜動かさないといけないのだが、手を動かさないといけないことは確かだ。


www.youtube.com

今日の素敵なもの|MiiR タンブラー 16oz White

前々から欲しいといっていたタンブラーを買った。ELEMINISTというロゴが入ったやつと迷っていたのだが、何も印字されていないオリジナルのやつを買った。オリジナルの質感を見て、やっぱりロゴがないのにして正解だった。ロゴがあったらだいぶ下品な感じになっていただろうな。

いい佇まい

amzn.asia

ELEMINIST 限定 ステンレスボトル(水筒)- 473mlshop.eleminist.com

 

2023/01/23(Mon.)|中間発表準備、寒波襲来

午前中のうちに大学に到着して、せっせと中間発表の原稿を書き進めた。昨日のゼミの熱が冷めないうちに色々と書き進めておく必要がある。

今週の火曜日から水曜日にかけて、大寒波が来るらしい。その辺の寒波じゃなくて、近年稀に見るほどの強い寒波が。今日もいつもより寒かったのだが、これ以上寒くなるなんて。水曜日の最高気温と最低気温はそれぞれ3℃と−3℃らしい。

今日の素敵なもの|君島大空『映帶する煙』

それはもう奇跡的な出来で、2023年最も聴いたアルバムになりそう。

 

 

2023/01/22(Sun.)|ゼミ

くそだと思っていた自分の原稿をゼミで検討してもらって、あーでもないこーでもないと議論しているうちに原稿が秘めていた面白さがじわじわとわかってきた。まだそれは兆しに過ぎないのだが、兆しがあるのとないのとでは原稿を書いていくモチベーションがまるで違う。

 

2023/01/21(Sat.)|小川珈琲、Aesop

母と姉が京都に遊びに来ているので、小川珈琲でブランチをした。

中庭があって雰囲気がいい。よくある町屋を改装したカフェ。この渡り廊下は外なので、店員さんやお客さんがドアを開けてこの廊下を通るたびに、私の席には冷たい風が吹いた。寒いよ〜

やっぱり寒いからだと思うのだが、ブランケットも置いてあった。あまりに寒くて1つでは足りず、2つ使った。ブランケットはloomerのものだ。いちいちセンスがいいな!好き!

何となく煎茶を頼んだ。1煎目はあまり高くない温度で5分ほど蒸したお茶が、ほんの少し(画像参照)だけ注がれた。最初、なんの冗談かな?と思ったが、これでいいらしい。飲んでみると、なるほどエスプレッソのような濃〜いお茶だった。

2煎目は熱い湯を注いでいただく。

京都に遊びに来た人はここに連れてくると喜びそうだ。喫茶店デッキに新しいカードが入った。

今使ってるCOMME des GARCONSの香水(kyoto)がなくなりそうなので、次なる香水を探し求めてAesopに行ってきた。

悩ましい。マラケッシュが一番好みだしなかなかいいのだが、kyotoよりいいかと言われると微妙だ。お金持ちだったら複数持てばいいのだろうが、私はそうではない。

植物屋さんにも行った

 

2023/01/20(Fri.)|グリル小宝

母と姉が京都に遊びに来たので、グリル小宝で一緒に昼食をとった。

普段はたくさんご飯を食べないので、腹13分目くらい満腹になった。夜になってもお腹は減らず、夜ご飯はりんご1つで十分だった。

 

2023/01/16(Mon.)|どうしたらそんなことになるのだ

就活関連の本を読んでいたが、圧迫面接においてダメな面接官からダメ出しされた人に対して「気にするな!それはいいことだ。マイナス×マイナスはプラス!」とか宣い出して、流石に続きを読む気も失せて放り出した。

いいか、圧迫面接を気にする必要がないこと——これは正しい。が、ダメなやつにダメ出しされたらマイナス足すマイナスでマイナスだ。なぜ足し算ではなく掛け算をはじめるのだ。なぜだ。なぜなんだ。どうしたらそんなふうに考えられるのか教えてくれ。

 

2023/01/08(Sun.)|『レオポルトシュタット』

NTLive『レオポルトシュタット』を観た。今年の目標(という言葉が嫌いなのだがそれはさておき)は関西で上映されるNTLiveを全て見ることだ。で、2023年一発目のNTLive『レオポルトシュタット』は登場人物がやたら多くて結構ついていくのが辛い映画だった。

NTLiveホームページはいつ見てもゲジゲジで、2023年の公開情報が2022年になったままである。

www.ntlive.jp

 

2023/01/06(Fri.)|低気圧、授業、バイト

低気圧と戦いながら、授業に出て、バイトに出て、そして特に何もない一日だった。

金曜ロードショーで『ハウルの動く城』を観たくらいか。

 

2023/01/05(Thu.)|バイト、筒井論文へのコメント

朝、眠くてあんまり動きたくなかったけれども、「行動活性化」の5文字を脳裏で経巡らせて何とか起きて作業した。筒井晴香さんの論文「自分を美しく見せることの意味——ルッキズム、おしゃれ、容姿の美」を読んでコメントを書くという授業の課題。ちょっと長くなったのでブログにもアップしておいた。最近文献まとめとかやってなかったし。これくらいのレベルのレジュメならいくらかでも書けるぞい。

eudaimon-richo.hatenablog.jp

午前中の早い時間をこれに費やしたので、12時前に外出したときには鴨川にあまり鳥たちはいなかった。とはいえ、双眼鏡で川の流れをウォッチングする。

午後はバイト。今日は結構仕事が多くて大変だった。

 

2023/01/04(Wed.)|終わり、始まり

先輩が修論を提出するのを見守ったり、新年初めてのバイトに行ったり、バイトではお休みしていた職員さんが復帰されたりと、終わりと始まりのある一日だった。

 

2023/01/03(Tue.)|新年初作業、蔦屋書店、中間発表

2023年になって初めて作業らしい作業をする。午前中からすっきり起床することができたから。最近調子がいいので、向こう一週間くらいの間に諸々を進めておきたいところだ。

昼ごろから作業に飽きてYouTubeを徘徊するゾンビと化してしまった。双眼鏡も試してみたいし、気分転換に大学に行く。途中で鴨川に寄り、比叡山やら大文字山やら、鷺やら鴨やらを双眼鏡で丹念に観察した。これは大変楽しい。散歩の楽しみが倍増である。

まだ三ヶ日で大学に人はいないけれど(図書館も閉まっているし)、大学院棟は空いていた。研究室にいてもなんか飽きてきたので、蔦屋書店に遊びに行った。初詣に行かないから到着してから気づいたが、岡崎周辺は初詣に来た人でごった返していた。露店も出てたり、大道芸人がパフォーマンスをしていたり。

中間発表を1月末に控えているので、流石に準備を進めなければならない。ぴえ〜

 

2023/01/02(Mon.)|初売り、NHK100分deフェミニズム、双眼鏡

実家にいると元気が出なくなるので、予定より早く京都に戻ることにした。京都に戻る途中でむくむくと元気が湧いてきた。ほら見ろ。

元気があったので下宿に戻ってからチャリを飛ばしてBALをうろうろしてきた。初売りということで人でごった返していた。クリスマスくらいの混雑。

TOMORROWLANDでTEKLAのハンドタオルを買った。かわいい。もともと家族にもギフトで買ってあげたのだが、ギフトって自分がいいと思うものをあげるから結局自分の分もあとで買いがちである。TODAY’S SPECIALも覗いたら形のいいガジュマルがあった。欲望に任せて買ってしまいそうになるけれど、サイズ感がいまひとつだった(小と中の間くらいのサイズが欲しい)ので、やめておいた。私は賢いからね。

この前第2刷が決まった『すごい哲学』も丸善にちゃんとあった。売れろ売れろ

植物に少しずつハマり出しているから改めて気づいた。BALにはディスプレイとして植物がこれでもかというほど置いてある。それもシンボルツリーサイズのデカいのが沢山。ここの居心地の良さは植物たちが担っているのだ。

 

 

今日の素敵なもの|PENTAX PAPILIO II 6.5×21 

 

 

2023/01/01(Sun.)|元日、されど頭痛

明けまして大変おめでたいのだけれど、こちとら頭痛でほとんど寝込んでいた。まあ、私は2020年ごろから初詣に行くのをやめたので、特に困ることはない。のんびり過ごした。

実家にいると色々うるさいなと思う。テレビの音、足音、話し声、咀嚼音……どこにいても何か鳴っている。帰省してからずっと頭が痛いのもそのせいなのではないかと思っている。それに加えて、車がないと仕方がない系の土地なのもテンションが下がる。移動可能性がどれだけ担保されているか。これによって元気は左右される(部分的に)。もちろん、京都にいても元気がないときはお出かけできないのだが。だが、元気がないときでもお出かけ可能性があるかないかは大きな違いだ。

 

先月の日記|2022/12

eudaimon-richo.hatenablog.jp